ナース漫画大賞2026 エピソード大賞
忘れられない看護実習(看護学生視点)部門
大賞受賞作品

怖いほど厳しかった
実習指導の先生

エピソード提供者
さくらだあこ さん

受賞エピソード

今から30年近く前、看護学校に入学した私(筆者)は、小野先生と出会いました。

当時40代だった小野先生は、小柄でふっくらとした体型に、メガネをかけた女性でした。普段はおっとりとした、優しい先生です。廊下ですれ違うと、にこやかに声をかけてくれる。職員室で見かける先生は、いつも穏やかな表情をしていました。

けれど、実習の場に立った途端、先生は別人のようになるのです。

学生の動きをすかさず捉える、厳しい眼差し。普段は柔らかい声が、廊下の端まで通る張りのある声に変わる。コメントを書き込んだ記録の束を抱えて先生が病棟に現れると、私たちは自然と背筋が伸びました。

「あ、来た」
誰かが小さくつぶやくと、その場の空気が一段引き締まる。

それが、実習中のよくある光景でした。

「コラっ、〇〇(学生の苗字)」
それが先生の口癖でした。右手のこぶしを左の手のひらにポンと当てて、先生は学生を呼ぶのです。

小野先生の指導は、とにかく細かいものでした。

髪が乱れていると、
「患者さんから清潔感がない印象に見られるわよ。きちんと整えていらっしゃい」
と返されました。

報告の場では、
「優先順位を考えて。まずは患者さんの状態を伝えるのよ」
と促されました。

患者さんとの関わり方から、記録の書き方、報告の順序、指導者とのやりとりまで——先生の目は、隅々にまで届いていました。

名指しされていたのは私だけではありません。先生は学生一人ひとりに、その人に必要な指導を、必要なタイミングで投げかけていました。

実習が終わった後は、ひとりずつ職員室に呼ばれて、その日の振り返りをします。

「なぜ、このように考えたの?」
「患者さんの反応はどうだった?」
「〇〇(学生の苗字)は、それを見てどう感じたの?」

先生は、私たちの関わり方や援助の一つひとつに、その根拠と考察を深く問いかけてきました。

――けれど当時の私は、早く帰らせてほしい、とばかり考えていました。

言っていることは、正しい。それは頭ではわかっていました。

患者さんを守るためにも、自分自身を守るためにも、看護師に「いい加減」は許されない。だから先生は、こんなにも細かく指導してくれているのだ——そう、頭では理解していたつもりでした。

それでも当時の私には、その「正しさ」が重く感じるばかりでした。

毎日のように飛んでくる「コラっ、桜田」。その度に私は、今度は何を言われるんだろうとうんざりしていました。一つひとつ問いかけられるのも、とても疎ましかったのです。

正直に言えば、先生のことが苦手でした。

当時の私はまだ若く、先生の言葉の重みを受け止めるだけの余裕がありませんでした。その厳しさの奥に何があったのか、知るのはずっと後になってからのことです。

看護学校を卒業し、看護師としての日々を重ねて、私は実習指導に関わる立場になりました。

学生たちが書いた記録を読み、報告を聞き、患者さんとの関わりを見守る。指導者として学生たちと向き合う日々の中で、私は不思議に思うことがありました。

それは、学生に対する私自身の関わり方についてです。

身だしなみが乱れた学生に、
「髪、整えてこようか」

報告に詰まる学生に、
「まずは患者さんの状態から伝えようね」

そして、振り返りの場では——

「なぜ患者さんに必要だと思ったの?」
「患者さんはどんな反応だったの?」
「あなたは、それを見てどう感じたの?」

——あ。私、小野先生とおんなじこと言ってる。

ある日、私はようやく気づきました。
これは、先生が実習中の私に投げかけてくれていた、あの問いかけと同じだったのです。

学生に問いかけながら、答えを待ちながら、考える時間をそっと差し出しながら——気づけば私は、先生がしてくれたことを、そのまま次の世代へ手渡そうとしていました。

学生時代、私は先生のことをあれほど疎ましく思っていました。あの「コラっ」を聞くたびに、心の中で「またか」とため息をついていました。

けれど今、私が学生たちに向けているのは、ただの厳しさではありません。

この子たちに、少しでも立派な看護師になってほしい。
そんな願いでした。

——もしかしたら、先生も、こうやって私たちに向き合ってくれていたのかな。

自分がこうして指導者の立場になってみて初めて、先生への感謝が、少しずつ心の中に芽生えるようになっていました。

卒業から10年後の春、看護学校の同窓会がありました。

久しぶりに会う同期たちと近況を話していたとき、会場の隅に、見覚えのある後ろ姿が見えました。私は声をかけようとしましたが、一瞬戸惑ってしまいました。

その人は、私の記憶の中にある姿よりもずっと小さく見えたのです。

「……小野先生?」

振り返った先生は、メガネの奥の目を細めて笑いました。

「あら、桜田じゃない」

あの頃のような張りのある声ではありませんでした。少しかすれた、穏やかな声でした。

「先生、お久しぶりです。痩せましたね……別人かと思っちゃいました」
「そうでしょう。大腸がんでね、半年前に手術したの」

先生はそれだけを淡々と話して、すぐに「桜田はどう?」と私に話を向けました。

先生は昔から、自分のことを長く話す人ではありませんでした。

私は先生に促される形で、実習指導に関わっていることを話しました。けれども内心は、ショックでいっぱいでした。あんなに大きかった先生が、すっかり小さく弱ってしまったように見えたからです。自分があの時、先生に何を話したのか——―正直、あまりよく覚えていません。

先生は私の話をひとしきり聞いて、
「元気そうで何より」
とだけ言って、軽く手を振って帰っていきました。

それから一年が経った冬のことです。
看護師国家試験の会場の前で、私はふたたび先生を見かけました。

小野先生はさらに細くなっていました。顔色もよくありませんでした。それでも先生は、受験する学生たちのそばに立ち、真剣なまなざしで見守っていました。

「小野先生」
私が声をかけると、先生はゆっくりこちらを振り向きました。

「……桜田」
「先生、お久しぶりです。お身体のほうはいかがですか」
「うん、あんまりよくないの。でも、今日はね」
先生は、ふと受験生たちのほうを見ました。

私は、それ以上体調のことは聞けませんでした。

「桜田、今も実習指導やってるの?」と尋ねられた私は、
「はい。実は明後日から実習が始まるので、休日返上で準備しなきゃならなくて——―」 と返しました。

そう言うと、先生は右手のこぶしを左の手のひらにポンと当てて、

「コラっ、桜田! ちゃんと休みなさい」

と言いました。

少しかすれた声だけれど、それは紛れもなく、あの「コラっ」でした。

「……はい」 私が申し訳なさそうにすると、先生は目を細めて、笑いました。
「あんたは昔から、そうやって、手を抜かない子だったよね」

そして少し間があって、ぽつりとひと言。
「桜田らしいね」

その一言が深く胸に落ちて、私は何も言えなくなりました。

「身体に気をつけて。頑張って」
「……はい。先生も」

先生は小さくうなずいて、学生たちのほうへ戻っていきました。

それが、小野先生と交わした最後の言葉になりました。

翌年の春、小野先生の訃報が届きました。

私は葬儀には参列することができませんでしたが、後日、同級生が、香典返しを届けてくれました。

小さな包みを開けると、中に会葬礼状のハガキが添えられていました。そこに書かれていたのは、ご遺族である実妹さんからのメッセージでした。

【姉はいつも実家に帰ってくると、教え子さんたちのことをたくさん話してくれました。病気になってからも、教え子さんの話になると、とても穏やかな顔をしていました】

私はしばらく、そのハガキを持ったまま、涙が止まりませんでした。

疎ましく感じていた、あの頃の「コラっ、桜田」。 もう二度と聞くことができない「コラっ、桜田」。

実習中の厳しい眼差しも、「桜田らしいね」と目を細めて笑ってくれたあの声も、そのすべてが、今になって胸に深く迫ってきました。

もう二度と先生に会えない寂しさが、胸に沁みてきました。

「コラっ、桜田」。

あの厳しくも温かい呼び声は、これからもずっと、私の中で生きています。

最後まで感謝の気持ちを伝えることはできませんでした。
それでも、先生に育てていただいた感謝を胸に、私はこれからも、看護の現場に立ち続けます。